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淡路瓦の歴史

淡路瓦の歴史

■約400年前の瓦

 
淡路瓦の起源は慶長15年(1610年)にまでさかのぼります。姫路城主池田輝政の三男忠雄が淡路島を所領として、成山城築城を決めました。その際に播州瓦の名工清水理兵衛を呼び寄せ瓦を焼かせたのが始まりです。ただ、淡路瓦の中心地、南あわじ市津井地区にはこれより20年程後の寛永年間に法華宗の援助で伝わってきたと言われています。南あわじの旧西淡地区は原料になる良質な粘土に恵まれ、さくい土と粘い土を調合し、幾度もこねあげて、使い勝手の良い原料土に仕上げてきました。現在淡路島内には約70軒の瓦製造業者があり、いぶし瓦の生産量では全国一を争う生産地であります。さて、鬼瓦についてですが、もともと瓦屋根の棟端を飾る装飾瓦の一種で、社寺の建物を守る守護神として飾られていました。古くは必ずしも鬼瓦とは限らなかったのですが、室町時代の初めになって鬼面に定着しました。
 

江戸時代に入ると、民家の棟飾りにも使われるようになり、家庭円満を祈る、あるいは火災や疫病から家を守るために、鬼面は屋根の上から睨みをきかせていました。後に棟飾りは、般若面やおかめ面、恵比寿や大黒、桃の実、宝珠、さらには福や水の字など多彩な飾りが施され、現世利益の願いが込められてきました。

お寺の山門等で見られる仁王像に「阿と吽」があるのは御存じだと思います。鬼面瓦にも同じように「阿と吽」があります。「阿」は口を開いて発する最初の声で、仏教では誕生を意味します。「吽」は口を閉じて発する最後の声で、悟りを意味するそうです。また鬼瓦を屋根に据える時には決まりがあります。中国の陰陽説に基づくもので、一概には言えませんが、考え方の一つに「阿」を向かって右に、「吽」を左に納めることがあります。

 

 

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淡路瓦工業組合作成